陰影の美
こんにちは。設計部の吉田です。
建築設計者の必読書として挙げられることの多い書籍に『陰翳礼讃(いんえいらいさん)』という谷崎潤一郎の随筆があります。
タイトル通りなのですが、とにかく「陰影」を素晴らしいものとして讃えるような内容で、先日弊社社長から全社員に向けてこの『陰翳礼讃』が配布されました。
陰影が作り出す魅力を考えるいい機会だと思って学生時代振りに読み直してみました。
そこで今回は、「陰影」をテーマに日本人の独特な美意識と、それをどう設計に活かしていくか、ということについて私の考えをお話ししたいと思います。
〈暗い部屋に住む事を余儀なくされた我々の先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に沿うように陰翳を利用するに至った。
事実、日本座敷の美は全く陰翳の濃淡に依って生まれているので、それ以外に何もない。
西洋人が日本座敷を見てその簡素なのに驚き、ただ灰色の壁があるばかりで何の装飾もないと云う風に感じるのは、彼等としてはいかさま尤もであるけれども、それは陰翳の謎を解していないからである。
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美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。
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その闇に沈潜し、その中に自ずからなる美を発見する。〉
上記は作中の文を引用したものになります。
古き日本家屋の形態は、横なぐりの雨風が障子に当たることを防ぐために深い軒を必要としました。
軒が深くなれば軒下には影が生まれる。縁側が伸びればまた縁側の下にも影が生まれる。軒先から室内までの距離が伸びると室内の日当たりが制限され、内部空間には陰りが生まれる。
そういった外観や内観の特徴から、「日本座敷の美は全く陰翳の濃淡に依って生れているので、それ以外に何もない」と谷崎氏が言うほどに、影が重要になってきたと考えます。生活上余儀なくされた状況から、陰影の美しさを発見したというわけです。
反対に、西洋の建築はどうでしょうか。
西洋のゴシック様式の寺院は、大きな窓やステンドグラス、頭の部分が尖った尖頭アーチなど重い石造りを軽快に見せる演出と、高さを強調しているのが特徴です。
軒や庇はなるべく最小限に抑え、可能な限り採光を得ようとしています。
日本人と西洋人の光や影に対する感覚は、真逆と言っていい程違っています。
日本では、陰と曖昧さを好みます。
暗く境界のはっきりしない曖昧さは存在の輪郭をぼかし、周囲との関係性の中にその価値を見出します。
西洋では明るさや明晰さを好みます。
その明るさに照らされた、それぞれの存在は明確な輪郭と自立した価値を持ち、美も即物的になります。
日本の家は西洋化が始まって以来、室内はなるべく明るくなるよう採光計画と照明計画を考えるようになりました。
室内が明るいと、清潔感があってキレイに見えたり、空間が広く見えたりとメリットはたくさんあります。
しかしながら陰翳礼賛にある内容で考えてみると、明るいばかりの室内では日本人の美意識にある憂いや情感といったものが欠けてしまう気がします。
日本の習慣や趣味生活を重んじる設計を基本として、より住まいが豊かになるような必要性の高い西洋の文化を取り入る。その中で日本の良さを失わないように。
美意識を大切にする「文化」と利便性を追求する「文明」。この対峙する2つの関係を上手く調和させて設計に落とし込むこと。
この作業がほそ川建設の目指す「伝統を重んじ、世代を越えて愛される金沢の住まい」を作り上げていく上で設計士に課せられる大切な使命の一つだと、陰翳礼讃を読み返して再認識しました。